Mississippi John Hurt - 晩年にデビューしたふたりの伝説的フォークシンガー(後編)【フォークの名盤・おすすめアルバム】
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63歳でデビューしてから92歳で亡くなるまで、およそ30年間にわたってプロとして活躍したエリザベス。
それに比べて、ジョンがプロとして活動したのは、70歳でデビューして、73歳で亡くなるまでのたったの3年間。
そのわずかな期間中に多くの偉業を成し遂げ、フォーク界に巨大な足跡を残していったジョンの生涯は一体どんなものだったのか。
ここからは、彼が歩んだ人生の全貌を見ていこう。
農作業の傍らギターの腕を磨いた少年時代
1892年ミシシッピ州キャロルで生まれたジョンは、家庭が貧しかったため、10歳でやむなく小学校を中退。
アヴァロンに移り住んだ後、小作人だった両親とともに働き始めたんだ。
この頃から、忙しい農作業の合間を縫ってギターを独学で練習し、時々路上で弾き語りをするように。
その暮らしぶりは非常に貧しく、弾き語りで得られるお金もほんのわずかだった。
後に多くのギタリストが影響を受けることになる独自のスリーフィンガー奏法を身に着けたのはこの時期で、その巧みで味わい深いプレースタイルはすでに少年期から確立されていたといわれているんだ。
☝親指でベースラインを弾くのと同時に、人差し指と中指でメロディを弾くジョンのスリーフィンガー奏法。
こちらは彼の代表曲「You Got to Walk That Lonesome Valley」。
30代半ばで大きな挫折を経験
そんなこんなで、大人になってからもずっと小作人として働き続け、相変わらず細々と生計を立てていたジョン。
人生初の大チャンスがやってきたのは、34歳のときだった。
当時の演奏仲間で※フィドルプレーヤーのウィリー・ナムールが、フィドルのコンテストで優勝し、オーケー・レコーズでアルバムを録音する権利を勝ち取ったんだ。
※バイオリンのことをカントリー・フォーク畑ではこう呼ぶ
ジョンは喜び勇んでウィリーと共にメンフィスとニューヨークシティで録音作業を行い、それまで培ってきた技術やセンスを惜しみなく注ぎ込んだ全13曲を制作。
ところが、満を持して世に放った力作アルバムは全く売れず、そうこうしているうちに版元であるオーケー・レコーズも不況の煽りを受けて業務停止になっちゃって。
失意のどん底に落ちたジョンは、音楽の道を諦めて故郷のアヴァロンに帰り、それまでと同じように小作人の地味な暮らしへと戻っていったんだよね。切ない・・・( ノД`)
☝ジョンが若い頃に故郷アヴァロンを思って書いた「Avalon, My Home Town」。
彼の故郷に対する愛情が伝わってきて、これを聴くと視界が涙で滲んでくるのです・・・(´;ω;`)
民俗学者に励まされて再デビュー ☞ 目覚ましく活躍
それからというもの、ジョンは人目につなかないアヴァロンのド田舎で農作業をしながら半ば隠居者みたいな隠遁生活を送り、気がつけば還暦を過ぎてすっかりおじいちゃんに。
しかし、「捨てる神あれば拾う神あり」とはよく言ったもので、誰からも見向きもされなかったジョンの録音物をたまたま聴いて衝撃を受け、彼を必死で探し始めた人物がいたんだ。
それが、民俗学者のトム・ホスキンス。
少ない手がかりを元にアヴァロンのジョンの家の場所を突き止めていきなり訪問し、
「ワシントンD.C.に移ってもっと広い舞台で演奏したらどうですか? あなたならきっとできますよ! もったいないですよ!」ってめっちゃ励ましたわけ。
このとき、ジョンはすでに70歳。
普通なら、「いや~、俺もう歳だから無理だよ」とか言いそうなもんだけど、やっぱり若い頃からの夢を捨てきれなかったのと、いきなり家に押し掛けてきた見ず知らずの民俗学者にべた褒め&激励されて、「もういっちょやったるか!」ってハートに火が点いたんだろうね、
トムのアドバイスに従って即ワシントンD.C.に移住し、同年(1963年)7月に開催されたニュー・ポート・フェスティバルに鳴り物入りで出演。
与えられた短い持ち時間のなかで3曲だけ持ち歌を披露したんだんだけど、その深い音楽性が観衆の心を掴み、「返り咲いたブルースマン」としてたちまち脚光を浴びたんだ。
最晩年になって突如人生の春が訪れたジョンは、それ以降、若い時代の遅れを取り戻さんばかりの勢いで目覚ましく活躍。
プロとしてデビューしてから73歳で亡くなるまでの3年間で3枚のアルバムを発表し、各地でも精力的にライブ活動を行って、フォーク史にその名を堂々と刻みましたとさ。
めでたし、めでたし。
おススメのアルバム
☝入門用にはこちらのベスト盤がおススメ。収録曲数も多いのでたっぷり楽しめます。
それと、ミシシッピ・ジョン・ハートを語る上でやっぱり外せないのは、日本のフォークシンガー高田渡。
国は違えど、彼はジョンのDNAを色濃く受け継いだ後継者みたいな存在なので、未聴の方は是非聴いてみてください。
☝僕が大好きな「あきらめ節」。歌詞がとにかく強烈ですw
さて、ここまで読んでいただいていかがだったでしょうか?
仮にトムがジョンを見つけ出すのにあと3年の年月を要していたら、きっとジョンは田舎の小作人として一生を終えていただろうし、僕たちもこうして彼の音楽を楽しむことはできなかったわけで、それを思うと人間の運命の不思議について考えざるを得ない。
彼の人生は辛いことの方が多かったかもしれないけど、最後にはしっかり報われて最高のオチがついて、本人もさぞかし幸せなことだったろう。
良かったな~、ジョンさん!👏
今日はこの辺で! See you in the next article.